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なぜ大きな騒動にならないか

碧天舎の「共創出版」の被害者は250人ともいわれている。彼らはいわば耐震偽装マンションの住民のようなものだ。倒産の際、ショッキングな報道が新聞各紙の紙面を飾ったものの、その後は債権者集会の模様が少し報道されたのみで、後追い記事が載ることもない。私が協力した某テレビ局の取材が、どのような形で世に出るかというところであるが、どうであろうか。

しかし、被害者の声が意外にあがっていないようなのはなぜだろうか? 
実際は、声があがらないではなく、あげたくてもあげられないのではなかろうか?

なぜなら…

①自費出版に対する著者自身の偏見があるひと
 自費出版はレベルが低いと思われていると考えている。それ以上に、自らもそう思っている。

②出版社のいうことを鵜呑みにしてしまい、自分をまたは作品の過大評価してしまったひと
「共創出版」は自費出版ではないと周囲に吹聴してしまった。

碧天舎の倒産によって、またその報道によって
「共創出版」や、その営業手法が世間に知られることとなり、例え、報道のような甘言に乗ってしまったわけでもない人でも、周囲からは誤解を受けるであろうし、なによりも編集者が口を極めて出版しないともったいないなどと賞賛された作品が、否定されてしまったショックは大きいだろう。



ふたつの"錯覚゛     「錯覚商法」をなくそう

今回、「錯覚商法」という言葉を使ってみる。
これは「あなたの原稿を本にしませんか」というコピーを使って、大々的に広告している「共・協出版」に「錯覚」を感じるからである。

そこには2つの「錯覚」が存在すると思う。

錯覚その1

「共同」とか「協力」という言葉は、読む側からみれば(著者)、出版社が著者に経済的な援助をしてくれるという錯覚を起こさせる要素が多分に含まれている。

実際に、以前は「協力出版」という言葉の後に「(著者と文芸社が協力して費用負担)」と明記されていた。つまり、一般的には協力とか、共同という言葉は自費出版を希望する著者にとって極めて魅力的であり、著者が自分に著者が自分に有利なように錯覚してしまう要素が強い。
(不思議なことに、私と文芸社のトラブル以後は紙面からこの言葉は消えたようだ)

これを「自費出版をしませんか」という言葉に置き換えてみれば、実にマーケティング戦略に長けた呼びかけになっていることがわかる。
この錯覚狙った商売は出版に限ったことではないので、おそらく法律的な問題にはなりにくいものなのであろう。しか

し「共同」とか「協力」とかいう言葉を使用する以上、出版社としては、自費出版とどこがどのように違うのか、という説明責任があると、私は常に言い続けている。

「協力出版」「共同出版」と宣伝している出版社は、なにを協力(共同)し、自費出版とどこがどれだけ違うのか、この際明確に発言してゆく責任がある。


錯覚その2

「あなたの本もベストセラーに」という広告コピーもあった。
素人の原稿を本にして書籍流通させると、著作はベストセラーになり、「作家」はバラ色の印税生活をで余生を送ることにある、などという夢を持たせるにも、「錯覚」であろう。

自費出版した本を書店で売るということがどういうことであり、どんなリスクをともない、「売る」という行為がいかに困難かということを、正確な情報をもって著者に知らせなければならない。それが書店流通させる自費出版を扱っている出版社の良心であり、マナーである。

この良心とマナーが多量の出版点数や新聞その他の媒体による広告の陰に隠れてしまい、果てはマスコミが「企画出版と自費出版の中間にある出版形態」などと持ち上げ、出版ブーム(※)と煽ったことにより、実態が消費者に見えづらくなった。この責任は重い。ホリエモンを時代の寵児と持ち上げ煽ったことと同じようなものだ。

今まで、まるで通常の自費出版と異なるような記事や広告を掲載してきた各新聞も、碧天舎倒産の報道では、今さらのごとく、「自費出版業界、最大手新風舎、二番手文芸社に次ぐ、業界三位の碧天舎…」などと取り上げ、まっとうな自費出版の業界と同視することは、社会に誤解を招く大きな問題だと思う。

※「今、自費出版がブーム」新聞各紙は何年にも渡り一年に一度以上はこのフレーズを使っているのではないだろうか。
新しい「商法」が発表される度に記事広告のような内容が紙面を飾る。社会の公器たる新聞の信頼が、「誤解」の裏付けとなっていないか。心配されることである。

自費出版における編集者

まず、以下のリンク先にある記事を読んでいただきたい。

編集者の仕事:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%A8%E9%9B%86%E8%80%85

自費出版における編集者とは、いわゆる一般の出版社と異なり、企画・立案の部分が少ないか、全くない、といえる。

その点において、いくつかの自費出版各社が設ける「○○賞」が、その部分を担っているように思えなくもない。しかし、「○○賞」の多くは明確な「テーマ」がない単なる「原稿募集」であり、編集者の「企画」とは言えまい。

『「編集プロデューサー」という肩書きのすごい美人が、目のやり場に困る服を着て…説得に来た』と以前に揚げた東京新聞の記事にあった。「編集プロデューサー」という言葉が使われているが、通常、編集者の役割の中には、プロデューサー的な要素が、当然のこととして含まれていたと思う。

「ウィキペディア」にあるように、編集者は原稿を本にするまでの多くの行程を立案し、指示するものである。
編集者が、文章構成や校正などの、原稿の編集だけの意味でとらえられる場合も多いので、誤解のないように、あえて使う場合も近年多いと思う。

しかしながら、臼井氏のコメントにあるような現状があるならば、記事中のプロデューサー女史の仕事はなんなのだろう。推測すると、いわゆる「営業」なのではないだろうか。

基本的に出版社で営業というのは、書籍・雑誌を売るための取次店や書店に対する営業と、雑誌に掲載する広告主を募る営業しかいないものだ。

著者としても、お金を払ってもらえればあなたの原稿を本にしますよ、と営業マンが訪ねてきたとすれば、ろくに話も聞かないのではなかろうか。「編集プロデューサー」なる肩書きは、出版社の営業テクニックの一環ととらえるべきなのであろうか。

出版社と著者の間に横たわる「錯覚」が、こういった出版と営業の方法の肝要なのだとすれば、錯覚を悪用した商法とも考えることができる。

次回は「錯覚商法」について考えてみよう。

「共創出版」の編集者

「共創出版」の編集者(臼井さんのコメントを読んで)

原稿を一冊の本として仕上げるために、欠かせないのが、「編集者」である。その編集者が、どこを見て編集するかによって、仕上がった本の質的レベルが決まる。
通常の編集者であれば、書店で購入して読んでくれる読者に喜んでもらえるために全力を尽くすものである。このためには著者と火花を散らすようなやりとりも時には必要となってくる。

しかし、臼井さんのコメントを読むと「共創出版」においては、原稿を読み、コメントをつけるアルバイトのような者がいる。そして、どんな原稿であろうと、褒めまくることを第1としているらしいことがわかる。
なにがなんでも出版契約にこぎつけることを目的としているように感じられるのは、私だけではないだろう。
著者と出版社が、そのような出会いである以上、会社の方針は推して知るべしであろう。

契約した原稿が編集者の手に渡っても「褒めまくる」という編集の方向が貫かれるものと推察される。そこには読者のためという「本作りの基本理念」が感じられない。本に質的向上は望むべくもない。

新聞報道に「あの素晴らしい編集者はどこにいったのか」と嘆く著者のコメントが載っていたが、おそらく「共創出版」の著者すべてにとって、「自分の原稿を本当に理解してくれた優しい編集者」であったことだろう。
碧天舎の編集者のほとんどが、仕事とはいえ、心ない対応を著者との間に行ったそれまでの行為に自責の念に駆られて、著者の前から姿を消してしまったのではないだろうか。

碧天舎の社長は、著者ばかりでなく、出版の編集者として、「良い本を自分の手によって世に送り出したい」と考えていた編集者の夢をも、打ち砕いてしまったといえる。

出版界も世の中もせまい。いつかどこかで碧天舎から出版した著者や未出版の著者と出会ったときに、いったい編集者はどんな顔ができるのであろうか。
そして著者は、共創出版で素晴らしいといわれ、自信満々で出版した本をいつまでも誇りに思うことができるのであろうか。

本は出版してしまうと勝手に一人歩きを始める。著者も編集者もそれを止めることはできない。それだけに確信を持てる出版をすることが大切である。

「賞ビジネス」とは?

何の賞でも、受賞するということは嬉しいものである。まして、それが出版のために書いた自分の作品何らかの賞に入選したといえば、この上ない喜びであろう。
そのような人の気持ちに目をつけたのが、私が「賞ビジネス」と呼ぶものである。

芥川賞、直木賞に代表される文学賞、あるいはサントリーの歴史大賞などの企業が主催する賞、公的機関が主催する賞など、その数はかなりの数に上り、「公募ガイド」などの専門誌さえある。この状況は、創造的な作品を作る者にとっては誠にありがたいことといえる。

ところが、その「賞」にもいろいろなものがあるようである。
今回問題になっているのは、「賞」というものを、自社の顧客獲得のための営業ツールと考えている自費出版社の手法である。

出版社が賞金や特典を掲げ、作品を公募するという方法によって、自費出版の客を集めているのではという疑いをもたれているところにある。

それらの「賞」に投稿した経験の多くの方々から、以下のようなやりとりがあったことを聞いた。
「賞」の発表後、出版社の編集を名乗る者からの電話があった。曰く「佳作に入選しました」
「二次審査には通りましたが、残念ながら入選にはなりませんでした」「この作品は優れているので、ぜひ出版なさってください」
「単なる自費出版ではもったいないので○○出版にしませんか」…

このような流れの中から「共・協出版」を勧められたという。

つまり、○○賞に釣られて、作品を出版社に送付した人へ巧みなセールストークによって「共・協出版」の契約を結ぶことになる。すぐに前渡し金、あるいは出版費用といった金銭を振り込ませることも怠りない。
人間のある種の弱み、名誉欲をついた、巧みな商法を用いた出版ビジネスを、私は以前「賞ビジネス」と呼んで警鐘を鳴らしてきた。
今では、多くの媒体でこの語を使うようになった。「犠牲者」が減ることの一助となっていれば幸いである。

ところで、碧天舎の破産に伴い、多くの犠牲者が出ているが、彼らを救うという名乗りを上げた出版社の中に自ら「賞ビジネス」を大々的にやっているところがある。
このような出版社と契約する人は、どうか甘い言葉に惑わされず、よくよく内容をチェックして、被害が2倍にならないよう、決定されることを祈る。

出版社が主催する文学賞、新人賞を募集した場合、入賞者以外に自社で出版を勧めることはあり得ないと思ってよい。まして、著者が有料で出版することはないだろう。もし、そのような出版社があれば、速やかに原稿を引き上げるべきである。

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